私が外勤めの社会人の時には非常に忙しく、家は平日は風呂と睡眠を取る場所と化していました。つまりは、家に帰ってからの数時間というのは本当に貴重なのですよね。で、その時に趣味、すなわち読書やゲーム、ネットに音楽etc……とさまざまなことを選択するわけなのですが、そこでテレビを見ている時間というのがもはやないのですよね。
これはつまり、現代の人は忙しく、その少ない空き時間を使って自分の趣味をするのでテレビを見ている暇がない、ということを書いたのですが、全く同じことが、ゲームにも言えるのではないでしょうか。つまり、忙しい時間の中、せっかく出来た自由時間において、ほかの娯楽との競争に負けて、ゲームをする時間が減ってきているという感じ。
そういえば私も昔は一つのゲームをクリアするためにかなり長時間を費やし、場合によっては睡眠時間まで削ったことも多々あります。しかしながら最近は、そんなことはあまりありません。ゼルダやマリオギャラクシー、スマブラXはそれなりにやりましたが、それでも仕事を遅らせたり(まあこれは普通の人はしないでしょうけど、あ、いやハンター×……いや……)、睡眠時間を大幅に削ることはなかったですね。そしてRPGはゼルダDS以来、まともにクリアしてないなあ……。で、その代わりに何をしていたかというと、ここでブログ書いてたり、マンガ読んでたり、音楽聞いたり。
つまり、多く発売されたゲームのうち、私の自由時間をとったのはそれらのゲームだけで、あとはほかの娯楽で埋まり(主にパソコン関連だけど)、ゲームをしている時間がなかったと。
こうなった原因は、自分が歳をとって忙しくなったからだと思っていました。しかしどうも世の中、年代に関係なくそういう傾向があるような気がします。これはおそらく、世の多くの人にとって時間がなくなったのもあるかもしれませんが、同時に自由時間を埋める娯楽が増えすぎたというのがあるのではないかと。つまり10年前になかったPCや携帯が大幅に自由時間を占めるようになり、その分ゲームをする、テレビを見る時間がなくなったと。
しかも、ゲームならではの、特に、据置機ならではのハンデがあります。それは、1回のプレイで拘束される時間が長くなること。特にRPGの場合は顕著ですね。プレイしてから戦闘を重ね、イベントをして、セーブポイントにたどり着くまで1時間とかかかることはざら。そして途中で飽きてもやめられないので、飽きてもつきあわされる。結果、それを時間のロスと感じてしまう人もいるでしょう。
大昔なら、やめようと思ってからセーブポイントにたどり着くまで1時間以上かかっていたペルソナとかもやれたのですけど、今は無理かなあ(でもこのゲーム自体は面白いので、ヒマができたらまたやってもいいと思うけど)。
携帯ゲームが据置機に比べて販売台数が伸びてきているのは、それが「どこでも(電車とかちょっとした空き時間でも)できる」「寝ながらとか軽い気持ちで出来る」という、携帯ゲームならではの利点が、現代の時間を出来るだけ惜しむ人間の生活環境とあっているからというのもあるのではないかと(携帯ゲームは電池などの問題で、いつでも中断できるようにゲームが作られていることも多いですしね)。
このように現代では、すでに娯楽にはインフレが起こり、量が自由時間>娯楽だった昔と比べて、自由時間<娯楽となってしまったのかと。ということは、娯楽ひとつあたりの価値は、昔よりはるかに少なくなったと言えます。
さて、インフレということはその価値が下がるわけですから、同時に金銭的価値も同じことになります。故に、無料のものが台頭している現在、有料のコンテンツであるゲームは、かなり苦しい立場にいると考えられます。ということは、これからゲームを金を出して購入し、プレイしてもらうには、その金銭と時間を浪費してもいいという、二重の高値を克服する価値をそれに見いだせなければいけないと。となると、昔より相当価値をあげないといけないと。
これから先、娯楽が減る可能性はあまりないでしょう。そして時間が大幅に出来るということも望めないでしょう。となると、時が経つごとにますます厳しい戦いを強いられることになると。そう考えると、昔みたいな量が多い長時間ゲームではなく、短時間ゲームが主流になるのかもと思うことはあります。メーカーも、作る量が少ないほうがいいと思う可能性もありますし。
■参考:長い間楽しまれるゲームというものは、メーカーにとってありがたくない存在なのか
でもこれって、逆に飽きられるのを早くしてしまう可能性もあり、そうするとゲーム自体から離れる人が増えるという本末転倒なことにもなりかねません。
個人的には『どうぶつの森』みたいに、少しずつできて、且つかなり長い間飽きないゲームが多く出てくるというのがひとつの解決策だと思います。でも、全てのゲームがそうなると、逆に多様性がなくなる気もするし難しいところです。
これからにゲームにとってが、そういう時間の使わせ方を考えるということが重要になってくるのでしょうね。
これについては、現在のところNHKでは以下の解釈となっているようです。
■ワンセグNHKサービス……受信料について
ワンセグ受信機も受信契約の対象です。
ただし、ご家庭ですでに受信契約をいただいている場合には、
新たにワンセグの受信機を購入されたとしても、
改めて受信契約をしていただく必要はありません。
つまりは、すでに受信料を払っている人は必要ないけど、払っていない人は受信の対象になるので、払う必要があるということでしょう。これは携帯電話の話ですが、理屈としてはPCでの受信、携帯ゲームでの受信すべて同じことでしょう。
そして、携帯電話の多くにワンセグがついてきている昨今、それを持つ人からとれるということにもなってしまうでしょう。
ただ、これはNHKの見解であり、それに対して疑問を呈している人も当然います。
■NHK受信料/ワンセグケータイのみ所有の場合(Livedoorナレッジ)
■受信料の個人契約制&会計検査院の要求(NHK受信料を考えるさん)
思うに、すでに50年前からある制度が、今の状況に完全にあわなくなってきている気がするのですよね。すなわち、テレビが全ての世帯にはなく、世帯も多くが数人いる、且つテレビは一家に一台という感じ。それなのに、制度を変えるのは非常に大変なので、変えられずに昔のままの法を解釈でどうにか適用して運用していると。ただ、明らかに無理をしているので、そこで矛盾が出てきてしまっているという感じだと思います(同じことは著作権法やJASRACの規約も言えると思いますが)。
しかし、現行法のまま無理に運用すれば、これから先も発展の可能性があるでしょうし、さらに矛盾を大きくしてゆくだけでしょう。故に、最近NHKの受信料義務化が(NHKから)叫ばれていますが、実質税金を、しかも2000円〜5000円近く増やすことになるわけですから、それには議論が巻き起こっています。
現在のところ、ワンセグやPC、携帯ゲームからそれをとろうという動きはあまりありません。ただ、このところ受信料の問題も叫ばれている中、この先それがないとは限らないのですよね。となると、町でモンハンをしているところに、「NHKですが受信料を……」と来る時代もやってくるのでしょうか。ただ、今それがおこなれないのは、世帯契約をしているか、本当に受信できるかの確認が事実上不可能なため、出来ないので、今度も同じ法制度&徴収方法であれば、事実上徴収は不可能でしょう。
個人的には、これらの矛盾を解決するために、早々に制度を整えるべきだと思います。そして重要なのは「見ることを拒否できる権利=受信料を払わない権利」も同時に整えるべきではないかと。つまりNHKに受信料の勝ちがあると思う人は見て、そうでない人はみないという、市場原理にのっとればいいのではと。その一方で、税金からまかなわれる、緊急時用の本当の国営テレビもあっていいとは思いますが(当然こっちは視聴はタダ)。
つか、正直なところiモードと同じ料金なら払うのですけど、今の世の中、2000円は高すぎだろ、と思うのは自然ではないかとも思えます。
ただ、最悪なのはそういったチューナーをつけることの出来るハードに、私的録音録画補償金みたいに、それ専用の課金がされること。でも、そうなると逆に、ワンセグつき、ワンセグなしの携帯電話や携帯ゲームが別途発売されたりするかもしれませんね。
■角川・講談社・集英社・小学館、Wiiに電子コミック配信へ 共同で新会社設立
おそらくは、携帯コミックがこの出版不況の中でなかなかの成長産業なので、今普及しているもので、電子コミックを配信しやすいWiiに目をつけた感じかと思います。
■参考・携帯コミックって読んでます?(たけくまメモさん)
さて、これは成功するのでしょうか。実際、まだ細かい仕様が出ていないので何とも言えないのですが、ゲーム好き&マンガ好きとしてちょっと考えてみました。
メリットは既存の携帯コミックやPC配信と同じように、「本屋に行かずとも気軽に購入できる」「中古がない」「余剰在庫が出ない」「既存の購読層以外への拡大が期待できる」といったところでしょうか。また、Wiiウェアを買うのと同じように、クレジットカードかWiiのポイントカードがあれば購入できますので、課金が便利であり、且つ任天堂ですので知らないサイトより信頼性があるという面も強みでしょう。
さらに、DSへのコンバートも検討されているので、携帯性に優れているという点もあるでしょう。
逆にデメリット要素もあげてみましょう。
まずは、電子であるが故の敬遠。これは紙の媒体に慣れ親しんでいるから、というだけではありません。パソコンを1日に何時間も見つめている人ならわかるでしょうが、テレビを含む光学モニターって、現在の技術では1日に何時間も見続けることが出来ないのですよね。故に、紙のマンガなら一気に10冊読む人でも、配信されたものでそれが出来る人はなかなかいないと思います。実際、私も一日何時間もPCの前でモニタを見つめていますが、横にマンガや本、そして音楽を聴きつつ、しょっちゅうモニタから目を離すようにしています(じゃないとそのうち頭痛が起きる)。
それに、所有欲の問題。つまり、金を払うのにその対価が存在しないという意識。これは今までコミックに慣れ親しんだ人からは抵抗があるでしょう。それにおそらくこれらのデータは、コピー不可能なものでしょう。となると、一度消えてしまえばそれまでとなるわけで、そこに抵抗を感じることもあるでしょう。ただ、WiiみたいにID登録して、購入したものの再DL可能とかならやや抵抗が薄れるかもしれません。
また、携帯と被る可能性が高いこと。つまり携帯コミックがすでにあるのに、Wiiで読む?という話。もっとも携帯で読まない市場、つまり子供とかに新しい市場が開ければいいのですが。あと、これは後述の画面表示問題にもかかわってきます。
一番の問題は、既存書店との競争に勝てるかということ。本屋に行けば、最新の単行本は手に入ります。それにブックオフもあります。さらに本屋に置いていないものでも、今ではすぐにネットで取り寄せ可能なのですよね。つまり、注文してから取り次ぎに連絡して1週間という昔とは違って、本の流通もだいぶ整っているのですよね。それこそAmazonやセブンドリーム、bk1なら、自宅やコンビニに次の日に届くサービスもあります。
さて、これらのメリット、デメリットに加えて、まだ発表されていないところでの疑問点もあります。
まずは、画面表示方法はどうするのかということ。これは、携帯コミックみたいに1コマずつを表示してゆくものにするのか、それとも、既存のPC配信みたいに1ページずつを配信するのかが不明です。ただ、これが一番重要だと思われます。というのは、これにより読み方が全然変わり、対象者も変わってしまうため。
1ページずつなら既存のコミックを読んでいた人、もしくはPCで読んでいたような人を主な対象とするでしょう。しかしながら、これには展開において欠点があります。それは、DSに移動できるような仕組みを作る場合、おそらく1ページを表示しきれないのですよね。というのは、文字や細かい部分が今のDSではつぶれてしまうから。いや、おそらくPSPでも無理でしょう。将来的に文庫本サイズの画面を持つDSでも出ればわかりませんが、今ではDS文庫ライクに開いて本みたいにして読む、ということは出来ないのではないかと。
ですので、携帯コミック的に1コマずつを表示してゆくやり方になりますが、これだと主なユーザーは携帯コミックに慣れた人かなと思います。
まあ、両方用意する可能性もありますけどね。でも、一コマずつ表示する方法は、それのための作業が必要となり手間がかかるので、採算がとれるかわからない時点で、それをやるかどうかは不明です。
でもすでに携帯に配信しているのをそのまま使うという手もありますが、それだと携帯コミックとどう違って、しかも携帯性で携帯電話に負ける分、必要ない存在になってしまわないかなあとも思います。
あと、価格の問題。先行するPCでの電子配信がいまいち大きな流れとなっていないのは、ラインナップの問題(比較的旧作ばっかり)もあるでしょうが、それと同時に価格の問題もあると思います。だいたいこれらの配信は1冊分が300円程度。たしかに本屋で買うよりは安いです。しかし同じものは、ブックオフあたりでは100円で売っていることも多いのですよね。つまり、100円くらいでないと、ブックオフに同じ本が置いてあるならそっちにとられると。だけど100円で採算がとれるか、そこが分かれ目でしょう。
このように、Wiiでのコミック配信は不安定な要素が多いのですよね。ひとことで言えば、PCで普及していないコミック配信とたいして違わなければ、たいして普及しないような気がします。もっとも、任天堂はWiiウェアのひとつとしてしかとらえていないような気がしますので、当たればよい、当たらなくてもだめもとという感じかもしれません(じゃないと専用チャンネルもうけるだろうし)。
ただ、記事を見るにどうやらWiiだけにとどまらない動きのようで、これから5年なり10年先なりを見つめ、コミックの配信をあらゆる方向で模索してゆこうという動きであれば、注目すべきに値するものだと思います。もしかしたらそのうちシステムやハードが対応して、現状よりもさらに便利に、そして安価にマンガを購読できるシステムが構築される可能性だったありますからね。数年前は携帯コミックが普及するなんて思われなかったわけですし。当然、失敗する可能性もありますけどね。
■参考・電子書籍端末売れず──ソニーと松下が事実上撤退
でも仮に、これから単行本の売り上げに携帯コミックやWiiの配信が迫るようなことがあった場合、それを意識してコマの割り方なども今までの制作方法論から変わってゆくのかもしれません。それはゲームがハードにあわせて変化したように。
最近、更新はしているものの、なんだかゲーム音楽の話題に直接触れる機会が少なくなってきました。たしかにその他ゲームネタも書くのは楽しいのですが、問題も生じています。それはゲーム音楽関連の話題やニュースを取りこぼすことが出てきたこと。たとえば以下の。
■スクエニ、現在は入手困難な名曲をiTunesで配信開始 第1弾は下村陽子氏の「LIVE A LIVE」
サントラは現在プレミアがついている「LIVE A LIVE」や「ルドラの秘宝」などの配信が始まるというニュース。これ、まず取り上げなければ行けないと思っていたのに、機会を逃してしまった感があります。そのほか、なんかいろいろトリノがしているのですよね。
それはこのブログが1日1エントリーという形を取っている性というのもあると思います。別にそれらを載せるのはいいのですが、紹介記事だけで終わってしまって、いつものコラムより内容が薄くなってしまう可能性があるのですよね(そのリンク先を見れば全て書いてあることを写してもしょうがないし)。
もともとこのブログでのコラムは、ニュースが少ないゲーム音楽界においても毎日更新をするために、やや埋める目的で書き始めたところがあります。しかし最近では、そっちのほうがメインになっている感じがするのですね。それは読んでいただける方がいる限り嬉しいのですが、それでゲーム音楽の扱いが減ると、本末転倒のような気がするのですね。ただ、こういったコラム系も思いつく限り書いてゆきたいという、ジレンマが出てきてしまっています。
それで今、考えているのは、このブログとは別に簡易的な、そういったゲーム音楽専門情報を1行とかで伝えるものがあってもいいのかなと。そうすれば、ゲーム音楽の情報目的の方の需要を満たせるでしょうし(もっともG.M.Revolutionさんとかの情報以上のものを出せるか微妙ですが)。
あとコンシューマ以外のゲーム関連音楽、すなわちPCギャルゲー系、同人系の扱いも考え中です。(ゲームミュージックなブログSIDEBは、現在なかなか手が回ってないし、これとの関連も含めて)。
ともあれ、八月になると少し時間が出来るはずなので(たぶん)、その辺も含めて考えてみようと思います。
■DSのデータをWiiに引き継げる、Wii版『どうぶつの森(仮題)』の新事実
さて、表題の通り大ヒットとなったDS版の『おいでよどうぶつの森』のデータを引き継げる旨も書いてあります。これは、ある意味自然と考えてよいでしょう。しかしながら、それに伴いちょっとした問題も存在しています。
DSぶつ森の発売からすでに二年以上が経過し、今でも毎日やっている人というのはかなり少なくなったでしょう。去年の前半くらいまでは、電車の中でやっている人とかわりと見ましたけどね。さすがに同じ季節の経験が三度目ともなると、飽きるのも当然でしょう。しかし、ぶつ森のプレイヤーならご存じですよね。しばらくの間プレイしないと、その村がかなりあれてしまうというのを。おそらく仲良くなった住人も、スイッチを入れた途端どんどん引っ越すでしょうし、雑草は生い茂り、ラフレシアも咲いていることでしょう。なんか、せっかく綺麗に作り上げていた村なのに、そうなった光景というのをみたくないのですよね。それは育った郷里に帰郷してみると、ゴーストタウン化していたような光景を見るようで。
ぶつ森だけではありません。同じように時計機能が採用されている脳を鍛える大人のトレーニングでも、数日行かないとポリゴン川島教授が、すご〜く残念そうなコメントを残しますよね。それを見たくないが故にできないという人もいるのではないでしょうか。
これら時計機能がついたゲームでは、こういった夏場に届いたお中元を置きっぱなしにしておいたら、あとでそれが生ものだと気づいて、開けるに開けられなくなってしまう心理に似たようなものができてしまうことがあります。
たしかにこのような時間が経つとあまりよくない方向で変化するというものは、そのゲームを持続させようという試みとしては、一定の効果があるかもしれません。しかし反面、それは離脱してしまったプレイヤーを再び戻らせることを難しくしているというリスクもあるのではないかと。
いや、時計機能の備わっているだけではなく、内部で進化する可能性のあるネットゲームとかもそうかも。しばらくログインしていないと、まわりが思った以上に進んでしまっていて、自分だけ取り残されてしまう、故に廃人プレイをして、それに置いていかれないようにする必要があると。だけど、一度取り残されると意欲まで失ってしまう可能性はあるでしょう。
この、続けさせるしくみが同時に再参入を難しくするジレンマは、ソフトがやった時点から基本的に動かなかった昔にはなかった、新しい問題かもしれませんね。
とはいえ、きっと多くの人はその夏の生もの(DSぶつ森)を恐る恐る開けつつ、新しいものにとりかえる(Wii版をプレイする)ような気がします。
というか、リアルの生活忙しいから、2〜3日いなかっただけでいろいろ手間が増える仕様は個人的にはやめてくれ〜と言いたいです。まあ、毎日来ている人にはそれなりのアドバンテージはあってもいいけど、来なかった人がマイナスになるのはやめてほしいです。
ともあれ、おそらくWiiの久々のキラーソフトになりそうなので、楽しみに待ちたいなと思います。あと、過去のゲームプレイできるの復活希望。
■「“ドラえもんに出てくるセワシ君”って誰ですか?」の意味 (やまなしなひびさん)
そういえば、「長く続いている作品は、印象に残っているシーンがバラバラになりがち」という現象はよくありますよね。ドラえもんだけに限りません。例えばこち亀ではそろそろ日暮さんが出てくる時期ですが、新規のジャンプ読者では知らない、もしくはなじみが薄い人もいるでしょうね。いや、そろそろジャンプ最大のヒット作『ドラゴンボール』を知らないジャンプ読者が出てきてもおかしくないかもしれません。そういえば大学時代、友人がサークルの歓迎会で新人に「額に肉の字」というネタをやっても全く通用しなかったのにジェネレーションギャップを感じたなんて話を聞きました。
でもこれ、ゲームにも言えることなのですよね。それはたとえ同じシリーズのファンでも、共通の体験をしているとは限らないと。
例えばマリオですが今の小学生には最近の『スーパーマリオギャラクシー』や『Newスーパーマリオ』をやったとしても、初代の『スーパーマリオブラザース』や『マリオブラザース』を知らない子なんてのもいるのではないでしょうか。いや、小学生ではなくても、18歳で社会人になった人との会話でも、通じないかも。だって、初代スーパーマリオの発売は1985年、つまり23歳未満の人は生まれていなかったわけですから。
子供に大ブームのポケモンでも同じです。今、DSで一生懸命プレイしている子供でも、初代の赤、緑をプレイしていない可能性は高い、というかそのほうが一般的なわけですよね。
あと、ドラクエ、FFなんかでもそうでしょう。このシリーズのファンであったとしても、パスワード入力の思い出を持っている人は20代中ば以降じゃないとありえないはずです。FFでもファミコン、スーファミ時代どころか、そろそろFF7(1997年)を知らない、よく覚えていない中学生なら出てきてもおかしくないですね。
それに、そんな歴史が長くないものでもこういう違いは出来てしまうようです。例えば東方Projectという同人STGがありますが、最近は素材がニコニコ動画でよく使われるために、シューティングを持っていない人、はてはもとがシューティングであることを知らない人もいるとか。
このように、同じシリーズのファンでも、全く同じ経験をしているとは限らないのですよね。となると、ゲーム感全体も、世代によって私みたいなファミコン時代からの経験をしている人と、スーファミ時代からの人だとゲーム感が微妙に異なるわけで。それはファミコンを見るものが経験によるものと、知識によるものという違いで。ですので「スペランカー=貧弱」というものを書いたとしても、イメージは人によって微妙に異なるでしょう(余談ですが、私とかだと同時に「アイレムのダイオード」「岩による永久ジャンプし続けるハマリがある」なんてのが、関連する要素としてついてきます)。
おそらく、『スペースインベーダー』でも、リアルタイムで熱狂を経験している人と、そんなことを知らなかった私とでは、微妙にそれに対しての感覚も異なるのでしょうね。
となると、ここのブログはもちろん自分の経験を基準としているわけですが、読まれる方は全く別の見方をされている可能性もあるのですよね。
とはいえ、読まれる方がどういう風に読まれるのもすべて自由ですし、それの受け止められ方の視点が多い方が、多様性が出ておもしろいと思いますので、それでいいと思います。
まず、昨日もちょっと触れたスーパーマリオのポール超え。これも当時、噂になりましたね。コメントでいただいたところによると本当に出来るそうで(私や私の周りでは無理だった)。調べてみると、バグとして1-1でも出来るそうです(激ムズですが)。
同じくスーパーマリオで、9面の存在というのもありました。これももちろんバグで、接触不良によるものだそうですが、各ゲーム雑誌でこの画面写真が取り上げられたことにより、噂が拡大しました(ちなみにどれも同じシーンだったので、素材提供されていたのかなと)。その後、更新見解が出されて収束しましたが、『スーパーマリオブラザーズ2』では、本当に9面を存在させてしまいました。
当然と言えば当然ですが、この手の伝説は、ブームになったものにおきやすいようです。で、マリオ以前にブームになった『ゼビウス』でも、似た都市伝説が流れました。有名なのは、バキュラ破壊説。
■ゼビウスのバキュラ、撃破不能なことが判明
このゼビウスのバキュラ破壊説は、昔から言われていた伝説の一つで、私もファミコン時代にジョイボール(連射機能付き)を使ってやってみたりしました。それが今回、公式に否定されたという感じです。遠藤雅伸 - Wikipediaによると
また、ゼビウス制作時の数々の逸話は全てプロモーションの為の後付け設定であったと明かし、「プロモーションのそれはそれとして、みんな生きてる内にちゃんとバラしてから死のうぜ」と他のクリエイターに向けて発言した。
ということなので、それに沿った感じかなと。
ちなみにこのほかにも、当時はゼビウスのネクストステージの噂などもあり、当時ゲームフリークという攻略集団に所属していたポケモンの制作者、田尻智氏が、その噂を確かめるために繰り返しプレイしていたという記事をどこかで読みました。
あと、昨日書いたウソテクのほかにも、雑誌媒体のネタがもとというのがありますね。有名なのは『スパルタンX』において「ファミコンロッキー」でのネタ、シルビアが襲いかかってくるというもの。これのネタが最近MADになって、世界中で人気のようです。
最近なら、やっぱりFFVIIにおける、某ヒロイン(おそらく知っている人が大半だと思いますが、一応伏せ)生存説でしょうかね。でも、けっこうゲーム雑誌とかで情報が得られる時代になった時に流れたくらいですから、やっぱりこのゲームのインパクトは強かったのでしょうね。あと、ドラクエにも会ったような気はするけど忘れた。
ちなみに、ゲームではなく業界系の都市伝説もそれなりに聞いたことあるのですが、幽霊程度の話ならともかく(私は霊感ないので)、社員がなんたらとか、話すともし本当だった場合シャレにならないものもあるのでやめておきます。
しかし、現代ではネットの普及により、こういった噂が流れてもすぐ否定されてしまうのは、ちょっとつまらないかも。でも、またFFVIIクラスのインパクトが起きれば、一時的にでもそういった噂が流れるかもしれませんね。
で、ファミマガだけはちょっとそれが特殊で、その裏技紹介、「ウルテク」の中にひとつだけウソの裏技「ウソテク」を混ぜておき、それを当てて応募するとプレゼントが当たるという企画があったのですね。これには、他誌による情報の盗用を避けるため掲載された嘘の裏技という意味もあったらしいです。
で、当時のゲーム雑誌の読者は小学生だったせいもあり、それのウソテクに気づかずに信じてしまうケースがあったのですね(もちろん答えは次々号で否定されるのですが)。そのうち、有名なものを今日は紹介しましょう。(参考:ウソテクデータベース)
■『スペランカー』無敵技
当時からあの伝説の虚弱ぶりでプレイヤーを悩ませたスペランカー先生。それが無敵になると言う技が掲載されました。「タイトル画面で2コンの十字キーの右と上を押さえながら1コンのAボタンをメロディに合わせて押す。そしてメロディ終了後すぐにスタート」というもの。しかしそれはウソでした。
■『スーパーマリオブラザーズ』で1up
「36個連続でフラワーを取る その後フラワーを取るたびに1up」
これに限らず、スーパーマリオは大ブームだけあっていろいろな噂が飛び交いましたね(旗飛び越しとか)。
そして極めつけ
■『水晶の龍』で野球拳
「パッケージの裏にある、シンシアの登場するシーンまで行き、話を聞いた後でシンシアの手を「見る」
すると、野球拳が始まる」というもの。
嘘か誠か、これのせいでソフトの売り上げが急に伸びたという伝説まであります。
ちなみに近年、FLASHでこれを本当に再現してしまった人が現れました。まあでぐぐればすぐに出てくるので。しかし「水晶の龍」でぐぐると、関連キーワードに「水晶の龍 野球拳」と出てくるのは笑えます。
ちなみに当時の他誌(非ゲーム雑誌)の付録で、このウソテクを本当に信じてそのまま掲載するということをやってしまったところもありました。どうなったんだろうなあ。
さすがに今は、ゲーム会社からもユーザーからもクレームが来るのでこういったことはできないでしょうが、この時代はこういった遊び心がゲーム雑誌にも会社にもあったのですね、なんてことを思います。
さて、何で主人公キャラはこういった優柔不断なキャラが増えたのでしょうか。それは、現代の男を反映させたものだとかいう方もいらっしゃいますが、それとゲームでそういうのが増えたのは全然違うと考えます。
私が思うに、これ、ゲームの主人公キャラ故にこうなったと思うのですよね。実際のゲームシーンを思い浮かべてみましょう。だいたいゲームなので選択肢が生まれますが、それはギャルゲーである以上、女の子に関連するものが多いです。で、パターンとしては「好感を持たれるもの(俗に言うフラグ+1)」か「そうではないもの」という選択、もしくは女の子AかBを選ぶというものプラス「どちらでもない」という選択がありますね。で、たいていの場合、選んだ女の子のルートに入り、その過程でもう一方の切り捨てを行います。しかし、それができずにどっちつかずになると、バッドエンドとなります。
で、最近生まれているヘタレ主人公というのは、この中間ばっかり選び続けた結果の主人公をそのまま形にしたものだと思ったのですよね。つまり、昔ならユーザーが中間を選んだことで出てくるような主人公像をそのままそういうキャラとしてゲームを作って、ユーザーが選んで行っていたヘタレ具合をそのままゲームのシナリオとして引き受けてしまったと。
ということは、あのようなヘタレキャラに感情移入できないというのは当然と言えば当然です。だって、ほかのゲームで言えば、多くの人は自分で選ばない、バッドエンド直行な選択肢を選んでいるのと同じようなことですから。
さらに、それを意図して強調されているために、もう手のつけられないほどヘタレとなっているのでしょうね。
ちなみに最近はそんなにギャルゲーをやってないのでわかりませんが、おそらく主人公が優柔不断と言われているゲームでも、選択肢によってはそうではないルートというのも存在するのではないかと(ToHeart2あたり)。逆に、それほど気にならないゲームでも、中間選択肢ばかり選び続けて、いれば、ヘタレと感じるでしょうね(ToHeart1の友達エンドとか)。
そういうわけで、ヘタレ主人公が生まれたのは現代的な事情ではなく、あくまでゲームシステム的な技法の延長線上だったと思います。あと、主人公をヘタレにしておけば、主人公キャラを動かさなくても女の子キャラが動いてくれるので、話が作りやすいというのもあるでしょうが。
ちなみにキャラをオーバーにする、というところをとると、女性キャラでも同じコトが言えます。例えば「ヤンデレ」なんてのがありますが、あれも好きな人に恋人が出来て嫉妬して、暗くなる女の子をオーバーにしていった結果、ああなったものだと考えられます。「ツンデレ」もそう言われるに至ったのは、大昔からあった、生意気で素直になれない女の子を顕著化していった結果、生まれた言葉なのかなとも思います。
となると、このキャラの性格的インフレにおけるものとなると、次に出てくるタイプのキャラクターはどんなのでしょうか? 超過保護とか、超友達タイプとかか?(なんだそれ)
さて、ここには子供の頃よく行っていたという方は多いと思います。もちろんその目的は神仏を拝むのが主目的だったという子供は少なく、多くは祭りのイベント、特には屋台が目的だったでしょう。あの、微妙に高くて味はそれなりなものが多いのに、祭りの雰囲気補正で値段も味も十分許せてしまう場合が多いのですよね。まあ「海の家効果」とでも言うのかなと。
さて、食べ物だけではなく、子供にとっては数々のゲームの類、例えば手作りパチンコでソースせんべいのボーナスとか、金魚すくい、ヨーヨーつり、スーパーボールすくい、くじ引き、ひも引き等々も楽しみのひとつだったでしょう。
さて、ここで私たちの年代で一番高価なものは、ファミコンでした、ソフトはもちろんのこと、ハードが箱ごとひも引きの中でつるされていることもあったのですね。あと、これみよがしに、くじの景品としてゲームハードが置いてあったこともありました。
ただ、ある程度の方には予想が付いているように、そして経験したように、それが当たることはまずないのですよね。ま、あれは当たりが存在しないくじだったのではと。たしかに、100円であんな1万円以上もってかれたら、商売になりませんからね。たいてい当たるのは、駄菓子屋のおまけとか、何故か雑誌の付録とか(で、そういうのに『ファミコンロッキー』系のマンガが載ってたり)。あ、でも私ではありませんが、1回ゲームソフトが当たった人を見たことありましたね。まあおそらくワゴンタイトルですが。そういえば、いっぺん、どっかの子供が全額を使って店のくじを買い占めて、当たりがあるかどうか確認したという伝説がありますが、いろいろな意味でそれをやってはいけないのではと。
まあ、あそこから社会や経済を学び始めたと思えば、ある意味安い授業料ですね。特にうまい話はないというあたり。とはいえ、子供の時からそういったものが当たるとは思っていなかったような気がします。せいぜいちょっとした玩具が当たればいいや程度に思っていたような。
でも、この屋台にあるこういったゲーム&ゲームソフトって、時代を反映していますね。私の頃は、前述のようにファミコンとかそのソフト(スーパーマリオとか)、ディスクシステムなど。そしてそのあとにはゲームボーイやポケモンも見たことあったような気がします。その後数年は行ってないのでわからないのですが、きっとPSとかが置かれていた時期もあったでしょうね。
ちなみに最近通りかかった祭りの屋台では、何かの商品に入手困難なころのDSやPS3が置いてあったのですが、それはいくらなんでも釣り針がでかすぎると思います。せいぜいソフト程度にしておいてください。
屋台も昔と変わらないように見えて、こういったところで世相を反映しているのだなと今になって感じます。さて、今年の夏に置かれるのは、WiiでしょうかPSPでしょうか、そしてそれを狙ってやる子供達を温かい目で見守ってください。







